【夢の続きが始まりました】石川善一

2000年、歌手デビューが決まった直後まさかのレコード会社倒産。 挫折から22年の時を経て 夢の続きが始まった。 元、学童保育指導員シンガソングライター。 ノンフィクション自伝小説

「 夢の続きが始まりました【第五十一章 (大賞) 】」

2023/1/21
石川善一52才です。


音楽祭【決勝大会】ホープ部門・大賞受賞の映像です。
短く編集したのでお付き合い下さい (27秒)
 
1995年8月7日:24才の時、
当時、所属していたプロダクションの推薦で出場した【 日本大衆音楽祭 】
この音楽祭の名前…
当時も今も思うことですが、
もっと横文字のカッコいいネーミングだったら良かったのになぁ…(笑)


でもこの音楽祭、規模は大きくて、
デモテープオーディション(一次審査)、二次審査と続き、
辿り着いた着地点は、なんと東京厚生年金会館大ホール。


①演歌部門
②ホープ部門
③カラオケ部門
と別れていて、
③は高齢者に楽しんでもらう企画でした。
①、②はオーディションも兼ねていて、業界関係者がたくさん来たのです。


私がエントリーしたのは ②ホープ部門で、
歌ったのはオリジナル曲の【初恋】です。


出場者も自分の出番までは客席でステージを見て過ごすのですが、
気持ちはそれどころじゃない。
 
その緊張を和らげてくれたのは隣に座った品の良い老夫婦で、
③カラオケ部門の出場者でした。
 
私は一人ぼっち。
オーディションなので、周りはライバルと思っていたのですが、
老夫婦は「あなた若いから本気なのね」…
「応援するね」
「でもその前にリラックス」…と、飲み物をくれました。
老夫婦の友達や家族もたくさん来ていて、
横断幕も用意してあり、応援体制ばっちり。
【がんばれー!! ファイトー!! 日本一】…
そんな文字が書かれた横断幕…なんと私のステージでも 広げてくれたのです。
その後の事は全く覚えていませんが、全力で歌いきりました。


出番が終わり、席に戻ると老夫婦は、
「すごく良かったよ」
「優勝ねらえるかもよ」
 
そして、その言葉どおり【大賞】を受賞する事ができたのです。
私はこれで道が開けたと思いました。
 
老夫婦にお礼を言って別れた後、
トロフィーを持ってロビーをウロウロ。
関係者…カモーン…俺、ココに居ますけど~、早く早く~。


…声がかかると思っていたのですが…。
30分…40分…。
こりゃ後日、連絡がくるってパターンかな…と家路につきました。
 
出迎えてくれた母に、
「ただいま」
「おみやげだよ…この箱あけてみて (^o^) 」
中から出てきたトロフィーと賞状。


「優勝したよ」 \(^O^)/
「え~!! え~!! え~!!え~!!え~!!」…母は私より喜びました。


結局、業界関係者からの連絡はありませんでした。
【大賞】とったのにそりゃないよ~ (>_<)
それだけ厳しい世界だという事を思い知らされましたが、
母も喜んだので ALL OK (^o^)
 
あの日、会場へ向かう道のりも、ステージに上がる段取りも、
トロフィーを受け取る瞬間も、全く覚えていません。
覚えているのは
老夫婦との会話、横断幕、ロビーでウロウロ、母の喜んだ顔だけです。
後日送られてきたこの映像を見た時に、
【俺…まぁまぁ歌えてる】…と確認できた28年前のエピソードでした。



Live【初恋】石川善一 東京厚生年金会館大ホール【決勝大会】ホープ部門 大賞受賞1995年8月7日


*【初恋】フルバージョンはこちら↓

1993年12月完成 【初恋】 作詞作曲:石川善一


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