【夢の続きが始まりました】石川善一

2000年、歌手デビューが決まった直後まさかのレコード会社倒産。 挫折から22年の時を経て 夢の続きが始まった。 元、学童保育指導員シンガソングライター。 ノンフィクション自伝小説

「 夢の続きが始まりました【第七十八章 (縁) 】」

2023/4/22
石川善一52才です。

【あべ君】は小・中学校の同級生で、
誰にでも好かれる朗らかな少年だった。
同じクラスになった事も、遊んだ事も無かったが、
家が近くて会えば会話はしていた。
 
あべ君の実家は美容室をやっていて、
母は生前、そこで髪を切ってもらっていた。
私も18才の時から
2ヶ月おきにお世話になっている美容室のおばちゃんは【Y子】さん。
Y子さんも誰からも好かれる素敵な人で、
母と仲良くしてくれていた。

私は、母の35才の時の子で、
周りのお母さん達は母より1周り年下が多かった。
だとしてもY子さんも高齢のはず。
なのに全く衰えを感じない元気で明るい人なのだ。
いつも会話は途切れず、
Y子さんから私の知らない母のエピソードを聞く事もある。
母が他界して20年目になるが、
新たな母の一面を知ることができるのだ。
他にお客さんが居ない時は髪を切り終わった後、
1時間以上話している事もある。
……………………
あべ君とは違う高校だったが電車でしょっちゅう会っていた。
遊んだ事がないのに彼を見かけると嬉しくなる自分がいた。
……………………
母は晩年、原付に乗れなくなっていて、
「あべ君のおじちゃんが送迎してくれるんだよ」と言っていた。
面倒がらずに数年もの間、送迎してくれていたおじちゃんも
穏やかで親切な人なのだ。
……………………
ある日Y子さんが転んで骨折した時も、
私の予約を断らず、娘さんが助っ人に来た。
娘さんとはすなわち、あべ君の妹で、
子育てのために現役を離れていたが美容師だった。
Y子さんの指示で私の髪を切ってくれたが、
彼女も柔らかい雰囲気で楽しく会話が弾んだのだ。
この一家の朗らかさは私の中で、
まるで福の神のような印象がずっと前からある。
……………………
私が派遣で職場を転々としていた時、新しい会社の初日、
フォークリフトから声をかけてくれた人がいた。
あべ君のおじちゃんだったのだ。
知ってる顔があってホッとした事を覚えている。
……………………
30才の時、あべ君とバッタリ会って初めて飲んだ。
今はLINEでもつながっている大事な友人だ。
あべ君から
「いつもうちの母親を楽しませてくれてありがとね」…と言われた。
Y子さんは、私が美容室に行って、
色んな話をする時間を楽しみにしてくれていると言うのだ。
あべ君の家族にとって【石川君】というのは
全員の共通の知り合いで、話題にもあがるという。
あべ君はこの年、独立して理容室を出したのだが、
今の私の家の徒歩3分の場所だった。
……………………
…何だ?…この不思議なつながりは…?
子供の頃は顔見知り程度だったあべ君との縁。
私はきっと前世で、この一家と深い関わりがあったのではないか…
と本気で思っているのだ。
……………………
ブログ・Facebook・インスタグラム・ツイッターで使っている私の写真は
Y子さんが撮ってくれた写真だ。
「写真が必要なら髪を切った直後の1番いい状態がいいんじゃない?」…と、
「はいチーズ (^o^) 」

Y子さんは、私の母の事をよく知っている。
荒れていた頃の家庭事情も知っている。
私の音楽活動や学童保育の事、
派遣社員で悔しい思いをしている事や恋愛の事まで知っている。
 
今ブログでランキング1位を継続している話もした。
私の事を何でも知っているY子さんもネットは分からないと言うが、
今回のブログの為に写真を撮らせてくれた。
花が大好きなY子さんは花と一緒に、「はいチーズ (^o^) 」

ブログにアップしたら、
あべ君経由で家族全員で読みたいと言ってくれたY子さん。
あべ家への感謝が伝わったら嬉しいと思っている石川君なのだ (^o^)
 
Y子さんは私にとって母親代わりのような存在。
大事に思っている。
オリジナル曲【母よ】は、私の母の為に作った曲だが、
♪これからもまだいつまでも♪…元気でいておくれ~♪の歌詞は
Y子さんの為の歌詞でもあるのだ。



1995年2月完成 【母よ】 作詞作曲:石川善一


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