【夢の続きが始まりました】石川善一

2000年、歌手デビューが決まった直後まさかのレコード会社倒産。 挫折から22年の時を経て 夢の続きが始まった。 元、学童保育指導員シンガソングライター。 ノンフィクション自伝小説

「 夢の続きが始まりました【番外編 (学童保育) 】」

2023/1/25
石川善一52才です。


●1991~1999年 (21才~29才まで)
8年務めた学童保育の主題歌 「おいちゃんのうた」を作った。


● 現在では学童保育の認知度は高いが当時は存在せず、
   日本で初の学童保育と聞いている。
● 株式会社としての民間学童保育 第一号で、私はその初期の職員だった。


● 夫婦で起業し、
   社長の愛称は 「おいちゃん」
   奥さんは 「K子先生」
● 生徒は200人前後。
● 卒業と入学で毎年50人くらい入れ替わったので接した生徒は500~600人。
● 当時は中型犬5匹と、勝手に住み着いた猫が10匹以上いた。
● 送迎用のワゴン車が1号車~7号車まであり、16校の生徒が集まっていた。


● 新1年生が入ると 「おいちゃんのうた」 を歌おう会というイベントがあった。
● 教室の壁には歌詞が書かれた模造紙が貼ってあった。
● 「おいちゃんのうた」 なので、
     おいちゃんが歌うと勘違いされるのは、あるあるだった。
● 低学年が聴きたいと言うと6年生が曲をながした。
● 60分カセットに繰り返し録音した歌が流れた。


● 夏には祭りがあり10分テープを原価で販売した。
● B面には学童保育と関係ない私のオリジナル曲をいれた。
● 自宅で100本のカセットに録音していたが、毎年必ず完売していた。
● 1つ持っていればいいものをB面の曲を目当てに毎年買ってくれる生徒もいた。


● 冬には忘年会があり生徒の出し物や、ゲームをしながらお菓子を食べた。
● 最後に必ず「おいちゃんのうた」とB面の歌のライブを行った。
 毎年、大合唱になっていた。
● 生徒で歌えない子はいなかったと思う。
 私の最大のヒット曲である。
● 当時はカセットテープだったので、もう持っている生徒はいないだろう。


● 3年前に学童保育に久しぶりに顔をだした。
● 驚く事においちゃんもK子先生も的確に私の時代の生徒の話をした。
● その中の生徒の一人が一時期、先生になっていて、私が居ない時期の
 学童保育でも「おいちゃんのうた」がアカペラで歌われていたという。
● 後日CDを渡しに行くと、
 K子先生は再び学童保育の主題歌として流すと言ってくれた。


● 私は「石川先生」・「イッシー」・「監督」と3つの呼ばれ方をしていた。
● ドッジボールチームを作り、3ヶ月に1度の検定で1軍、2軍を決めていた。

● どうしても1軍に入るのは5、6年生になる。
● 運動神経抜群のお兄ちゃんに憧れる1年生は、自分はドッジボールしていないのに
 お兄ちゃん達のまねをして私の事を「監督」と呼ぶようになった。
● いつしか「監督」は男の子の呼び方で、
「イッシー」は女の子の呼び方というルールになった(笑)


● とにかく楽しかった学童保育時代。
 私は今も昔も生徒達を友達であり弟、妹と思っている。

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