【夢の続きが始まりました】石川善一

2000年、歌手デビューが決まった直後まさかのレコード会社倒産。 挫折から22年の時を経て 夢の続きが始まった。 元、学童保育指導員シンガソングライター。 ノンフィクション自伝小説

「 夢の続きが始まりました【第三章 (母) 】」

2022/7/22
石川善一51才です。


若い頃作ったオリジナル曲が世界配信されました。
その中の 【母よ】 という曲に込められた思いをココに記します。
 
皆さん親孝行をしていますか?
大事なのに忘れていませんか?
 
私の母は2003年12月27日に天国に行ってしまいました。
無条件の愛というモノが本当にあるんだな…
と知る事ができたのは母のおかげなんです。
 
私の母は体が弱くて年に数回、入院をしていました。
この曲は母が初めて入院した1995年2月22日に作りました。
 
発作がおきそうな時が自分でわかったそうです。
 
留守電に
「よしかず…お母さんまた入院するからチロちゃん持ってきて」
チロちゃんというキャラクターが描かれた私が小6の時にあげたバッグです。
中にはスリッパや歯ブラシなど入院セットが入っているのですが
いつも一週間くらいで退院してチロちゃんと一緒に帰ってきます。
作った曲 【母よ】 は照れくさくて何年も聴かせられないままでした。
 
「よしかずごめんね…またチロちゃんお願いしたいの」
「わかったよ夜持って行くね」
もうボロボロのチロちゃん。
「せっかくあんたがくれたんだからお母さんコレがいい (^o^) 」
 
デビューしかけてうまくいかなかった時【第二章参照】も信じ続けてくれた母。
厚木ライブハウス「FUZZY」に出演した時も
「関係者が来たら絶対スカウトされるよ」と 
私の夢をあきらめずに応援し続けてくれた母。
照れくさくて「ありがとう」と言えなかった私。
 
2003年10月。
ライブハウス「FUZZY」が閉店。
私はその最終日に出演しました。
その日は火曜日でチケットがあまってしまいました。


「お母さん行きたい。チケット買う\(^O^)/」
「ダメだよ心臓が悪いんだから…大きな音なんだよ」
「知ってて行くんだから大丈夫」
 
友人がずっと付き添ってくれました。


母が私のライブに来たのは2回目で15年ぶり。
母はチロちゃんも一緒に連れてきました。
「ダサいバックなのに持ってきたの?」
「ダサくないよ。あんたがくれたやつだから (^o^) 」
 
私はスタッフと相談して急遽、曲の変更。
8年聴かせられなかった【母よ】を プログラムしたのです。


「皆さんごめんなさい。この曲は母のためだけに歌わせて下さい」
 
サビの「母よ~」の部分で柔らかなスポットライトが母を照らし、
ステージからでも 母の顔が見えました。
唇を噛みしめて今にも泣きそうな母の顔は今でも覚えています。
 
家に帰ってから 「すごく良かったよ素晴らしかった」
「うんうんわかったわかった」
そんな会話をしましたがお互い 【母よ】 の事にはふれませんでした。
 
その2ヶ月後 
「またチロちゃんよろしくね」
「OK持って行くよ~ (^o^) 」
いつもの入院…と思っていましたが……母は天国に。
 
私は親孝行が間に合ったと思いました。
【母よ】は母に届けられました。
でもそれまで33年間、どれだけの「照れくさい」があっただろう…。
親孝行…間に合ったけど…足りていただろうか…
 
コレを読んでくれている皆さんにお願いです。
「照れくさい」を捨てて下さい。
母が亡くなって19年たち51歳になった今でも私は親孝行がしたいです。
命日には母の写真を見ながら、
母が好きだった前川清BESTと自分の曲【母よ】を流します。
チロちゃんは天国に付き添わせました。
母に寄り添い一緒に聴いてくれてるはずです。
 
私はもうデビューとか関係なく
今回、アマチュアのまま音楽配信される機会【第二章参照】 を得て、
皆さんにこういう事を伝えられたら本望…と思っています。
YouTube で 石川善一 と検索すると 【母よ】 があります。
コレを読んだあなたの…
あなたの母への「照れくさい」をメロディーに添えて代弁します。
 
全国のお母さんたちへ。
あなたの子供はあなたの事をこんなふうに思っていますよ。




母よ


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